He is a society man アメリカの友人&昭和の唄
西暦でいうと1984年だけど、昭和では昭和59年。
昔だね。
音楽がやりたくてバイトをして、ギターを買って、曲を作って、
友達とバンドを組んで、ライブをやった。
そんな中、音楽好きのアメリカからきたマイク・モラスキーと友達になった。
アメリカの友人!
この「アメリカの友人」っていう言い方が好き。
ちなみに同タイトルてパトリシア・ハイスミスの原作の
ヴィム・ヴェンダースが監督・脚本の映画がある。
とてもクールな映画!
デニスホッパーがトムリプリー役。
脱線したが、マイク・モラスキーは、アメリカオルタナティブロックの
スティールポール・バスタブのギタリスト!
そんな彼と友達になって、その頃、彼らが住んでいた荻窪によく行っていた。
パルコ主催のオルガン坂大賞という音楽コンテストがあって、
私もこの曲「He is a society man 」で応募したけど、落選した。
マイクの曲が最終選考まで選ばれて、
坂本龍一や菊池武夫などの審査員の前でパフォーマンスしたのは、
楽しい思い出。
そんな中、忘れられないのは、エルビスブラザーズというユニットがいて、
後のテイトウワ氏がいたことかなー。
こちらから最新版のSociey Man 視聴できます
↓
https://fureasteen.bandcamp.com/track/he-is-a-society-man
Showa's song
It was 1984 in the Christian era, but it was Showa 59 in Japan.
It is a long time ago.
I wanted to play music, got the part time job, bought me a guitar, made songs…
organized a band with my friends and had a gig at local place.
Meanwhile, I became friends with Mike Morasky from United States.
He lived in Japan while.
[American Friend]
I like this way of saying "American friends".
By the way, there is a director / scriptwriter f
ilm by Wim Wenders of the same title
and original by Patricia Highsmith.
Very cool movie!
Regend Dennis Hopper as Tom Ripley.
Sorry back to Mike.
Mike Morasky is a guitarist of Steel Pole Bathtub of American Alternative Rock !
Check out They are (were) great!!!
I had great friendship with him,
and I often went to Ogikubo where they lived at that time.
There was a music contest called Organ Slope Grand Prize organized by PARCO,
and I also applied for this song "He is a society man", but I failed.
But Mike's songs were selected until final selection, and they performed in front of judges such as Sakamoto Ryuichi and Kikuchi Takeo.
It was a pleasant memory!!!
In the meantime, there is a unit named Elvis Brothers that can not be forgotten,
Late Mr. TAI TOWA was there.
*Steel Pole Bath Tub was an American rock band,
formed in 1986 in Bozeman, Montana by Mike Morasky (guitar/vocals)
and Dale Flattum (bass/vocals).
下記はWikipediaより参照
*PARCOオルガン坂大賞(パルコオルガンざかたいしょう)とは、
1980年代に行われた公募音楽コンテストである。のちにプロとして活躍する幾組かのミュージシャンを輩出した。
「オルガン坂」とはパルコの東京都・渋谷の店舗、パルコPart1・Part3の並ぶ渋谷区の坂の通称で、近隣の井ノ頭通り・東急ハンズ渋谷店前の交差点から坂を上り、Part1前の交差点までを指す。由来には周辺に音楽関連の店が多かったためと、東急ハンズの階段がオルガンの鍵盤のように見えるためという2説がある。
パルコ出版の雑誌『ビックリハウス』誌上では1982年11月号で「第1回オルガン坂作詞大賞」が発表されている。
1984年には第2回オルガン坂大賞が開催されている。
1985年3月20日に行われた第3回オルガン坂大賞の発表コンサートは、パルコPart.1にあるPARCO劇場にて行われた。このときの審査員のひとりには立川直樹、応募者には後にZABADAKを結成する吉良知彦がいた。吉良は自主制作アルバム『AFTER THE MATTER』で応募し、このアルバムが多重録音作品であったため演奏をどうするか悩んだ結果、当日、後にZABADAKメンバーとなる上野洋子と口パクによる歌唱の合間にオリジナル曲「オハイオ殺人事件」の世界を表現した演劇風のパフォーマンスを行ったという。吉良はグランプリや2位の受賞は逃したが、後日審査員の立川に声をかけられ、東芝EMIからZABADAKとしてメジャーデビューした。
松井寛は高校生時に同賞に応募し、その際の審査員には坂本龍一、大貫妙子、菊池武夫がいた。松井は2位となり、その後PARCO音楽出版預かりの作曲・編曲家としてCM音楽を手掛けたのを経てプロの道を歩んだ。